インフルエンザ大丈夫みたい

次女の豊田のマンションは築浅で見た目、綺麗なのに極寒部屋 どんだけ寒いん!というくらいの寒さでした。この部屋ではリラックスは難しいね。エアコンをつけていても温まらない狭い部屋。マフラーはずっとしたまま。鼻水がでてきました。夫のインフルエンザにはうつらなかったっけど・・次女んちでは不安でしたが大丈夫でした。くしゃみと鼻水も花粉だったのかな。。。それにしても驚きのおば力です。


明日は父のデイ体験 う〜〜〜どうなるのやら・・・行かないと言うのではないかと心配でたまらない。行ったら行ったで帰ると言い出すのではないかとこれまた不安 朝は妹が送り出すと言っています。私はいつでもお迎えに行けるように待機しましょう。
心配ばかりしていても仕方無い。なるようになるんだからとケセラセラを心がけて。ああ、勇気だして行ってほしいな。行ったら皆優しいもん。マッサージしてもらってきっと気に入るよ。私の通うのは変わりなくても父が少し変化のある、人と接する時間を持てたらいいのにな。いいのにな。。。。。どうぞ気に入りますように。

月に1度だけもうどうでもいいや!と思って平日1日遊ぶことにしていた。でもそれができないほどに弱ってきている。それもやめざるをえない。もっともっと長くいなければならなくなるのだろうか・・・1日中ずっと介護している大勢の人 その精神的苦痛はどれほどのものか・・・優しく優しくと思ってもつい声が大きくなる。今日はずっと穏やかに優しくと自分に言い聞かせて行ってもやっぱりイラッイラッが重なっていく。そして自分に落ち込む。人間の出来ていないなんて嫌な奴と思う。これが毎日  そんな自分が嫌やな〜って思う。




他者のケアを延々続けることは自我を抑えて暮らすこと
相手に愛情を持っていても、いや、持っていればいるほど 介護を辛いとか嫌だとかを感じる自分に罪悪感を覚えてしまう。しかも感情が激して心無いことを口走ることもあるわけで介護を通して見たくない自分 優しくない自分を知ってしまったりする。これが辛い。それは時に心を病むほどにもである。
でも人は何もせずにいればいくらでも優しく、いい人でいられる。自分がいい人だと思っていられるのは何もしないからだと思った方がいい。

「優しくなかった自分に傷つくのは あなたが優しいからじゃないのかしら」

             久田恵 家族がいてもいなくても


ずっと介護をしている人が 自分に落ち込み久田さんに泣いて話した時に彼女が言った言葉 人間って優しくありたいと思う。でもできない時自分は駄目だ駄目だと悲しくなる。介護はこれを繰り返すんだろうなあ。後悔しないよう自分に満足できるようにと思っても後悔と自己嫌悪ばかりが残るんではないか・・・そんな中で彼女の本は私の心を優しく包んでくれた。


読売新聞の人生案内の相談者である久田恵さん。毎回う〜〜んと思うアドバイス どんな人かなと思っていた。完璧な優等生回答でなく潔さと悩める人の気持ちに添ったアドバイスです。
土曜に豊田の図書館で見つけた彼女の著書 何かに出会うこと・・・人生ってわからないもの。これからの人生 私にはどんな出逢いがあるのだろう。