毎日 気が重い

もう嫌だ、ほんとはもうとっくに嫌。心がしんどい。楽しい事なんて無い。せいぜいキュウリの成長くらいのもの。一人で車に乗ると ため息連発。ため息やめよっと自分に言い聞かせながらまた ため息

ゆっくりお別れの時間???そんなもの!! 離れて暮らし 施設に入れて たまに顔を見に行くだけの人の言葉 お見舞いだって一緒 そんなものじゃない!ゆっくりお別れの時間なんてアホらしいと思うようになった。ママは元気じゃないの。子供達にママは楽しく暮らしていると そういうのやめた。元気に電話して実家に通う。そうして行くしかないから。空元気  でも楽しそうに見えるらしい。ずっとずっと先に灯りが見えるとしたらそれは父のさよならの時?それが灯りと言えるのだろうか。常に車のキーと免許書携帯しています。京都くらいでも出かけるのが怖くてできない。こんなに暑いといつも心配 この気持ちで過ごすのがもうたまらないよ。何も楽しいと思えない暮らしです。でもこれは自分の気持ちの持ち様ですから、父はまだ充分 一人でご飯も食べてお散歩も行って 時々とんでも無い事あるけど とってもとっても頑張っています。そうわかってる。気持ちの持ち様というのは難しい自分自身のことだから自分でふっと何かが見えるまでこれが続くのかなあ・・・

書きたいことは嫌なことばっかりだった。書きたいけど書かなかった。裏ブログしよかな・・とか思ってたけど  もういいや!!吐き出してしまえ!!と思って書きました。不思議少し気持ちが楽になってきた。たいしたことちゃうやんな〜とか思えてきた。吐き出すって不思議 え〜〜い もういいや もうちょっとやってみよか・・みたいな気持ちになってきたよ




桜子ちゃんと楓ちゃんというまだ幼い命がネグレクトでなくなった。2人の可愛い名前がよけい不憫でならない。締め切った暑い狭いゴミだらけの部屋で胃の中 空っぽで 暑いんで裸んぼうになって 寄り添って亡くなっていたらしい。二人のママはとても幼く生活に疲れ 追われ 全てを放棄してしまった。彼女はブログ上で良いママを装っていたらしい。もし 良いママなんてホッチッチ 嫌だ〜〜こんな生活 しんどいよ〜〜子供なんてもう嫌だ 遊びに行きたいって書いていたら何かが変わったんじゃないかな  と思った。2人の子供を思うと可哀相で可哀相でたまらないよ。連日 マンションの下には子供達の好きそうなお菓子や飲み物が供えられていると新聞にのっていた。その若い人ばっかりだろうワンルームマンションの住民の有志が こんなことがもう起きないように 集まって話し合う機会を持つらしい。みんな2人を救えなかったことに傷つき責任を感じているんだろう。




介護真っ只中の友人の話  同じ介護仲間の〇〇さん 義母を看ています。彼女に会うとスーッとする。その人は はよ 死んだらええのにって言うねんよ。それ聞いたら スーッとするねん  って。誰も言わない言えない心の秘密 さらりと言って それに周りの皆は何も応えたりは無いだろうけど スーッとしてる人沢山いるのかも。疲れピークになった時 ゲロ吐くの大切なんだろう。


必ず 道はある 八方ふさがりでも360度あるんだから どっかに自分の進むべき道はあるんだ。そうですね〜〜〜
本当の元気に近づきたいな

は〜〜 ため息は幸せが1つ減るらしい  嘘と思うわ